歴史・沿革

1955~1992

昭和30(1955)年8月テンジン『ヒマラヤの男』刊行で出版事業再開。
昭和31(1956)年4月大阪営業所を開設。営業所網全国展開の端緒となる。
昭和33(1958)年12月大手町ビル店開店。
昭和35(1960)年10月田辺茂一が率いる悠々会(東京都内の書籍販売店を結ぶ団体)が舟橋聖一らによる作家グループ、キアラの会に編集を委託した文芸雑誌「風景」創刊(~昭和51年4月)。
昭和36(1961)年9月新宿本店、本社ビル建設のため仮営業所(現・アドホックビルの位置)に移転。

写真:仮営業所店内
仮営業所店内
昭和38(1963)年5月「紀伊國屋新書」創刊、高階秀爾『世紀末芸術』ほか4点同時刊行。以後、14年に渡り、164点を刊行。
昭和39(1964)年3月紀伊國屋本社ビル竣工。前川國男設計。地上9階、地下2階、延べ床面積3,560坪(売場面積は480坪)。画廊・ホールを併設。
2006年8月に第500回を迎えた「紀伊國屋寄席」がはじまったのもこの年。第2回目の演者は春風亭柳朝(5代目)、三遊亭円生(6代目)、林家正蔵(8代目)、桂文楽(8代目)、柳家小さん(5代目)。

写真:竣工当時の紀伊國屋画廊
竣工当時の紀伊國屋画廊

写真:竣工当時の紀伊國屋ホールホワイエ
竣工当時の紀伊國屋ホールホワイエ

写真:竣工当時の紀伊國屋ホール
竣工当時の紀伊國屋ホール

写真:竣工当時の2階和書売場
竣工当時の2階和書売場

写真:竣工当時の紀伊國屋ビル
竣工当時の紀伊國屋ビル

写真:紀伊國屋新書100点刊行時ディスプレイ
紀伊國屋新書100点刊行時ディスプレイ
10月東京オリンピック選手村とプレスマンハウスに出店。

写真:オリンピック選手村売店
オリンピック選手村売店
ジャン・ボードリヤール
「紀伊國屋書店は何階にもわたって売場があり、劇場としての紀伊國屋ホールがあります。フランスにはこのような書店はなく驚いています。書店が出版をかねることはフランスにもあります。しかし、多岐にわたって文化活動を行っている書店というのはありません。今後の紀伊國屋書店に強い期待をもっています」(「紀伊國屋演劇賞30年史」)
昭和40(1965)年6月渋谷店開店。

写真:開店当時の渋谷店
開店当時の渋谷店
昭和41(1966)年10月サルトル、ボーヴォワール両氏来社、通訳は朝吹登水子氏。

写真:サルトル、ボーヴォワールと田辺茂一
サルトル、ボーヴォワールと田辺茂一

演劇の振興に寄与するため、「紀伊國屋演劇賞」創設。当時の審査委員は茨木憲、尾崎宏次、戸板康二、奥野健男、田辺茂一。歴代及び現在の審査委員はこちらから

写真:第2回授賞式(昭和42年)にて。中村伸郎(右)は三島由紀夫(中央)の作品の演技で個人賞受賞
第2回授賞式(昭和42年)にて。中村伸郎(右)は三島由紀夫(中央)の作品の演技で個人賞受賞

写真:第4回授賞式にて。演技で個人賞受賞の奈良岡朋子(右)と安部公房
第4回授賞式にて。演技で個人賞受賞の奈良岡朋子(右)と安部公房
昭和44(1969)年2月初の海外店舗・サンフランシスコ店開店

写真:開店当時のサンフランシスコ店
開店当時のサンフランシスコ店
12月梅田店(現・梅田本店)開店。

写真:開店当時の梅田本店
開店当時の梅田本店 開店当時の梅田本店
昭和47(1972)年1月外商部門の統合再編をはかり、営業本部を設立。
2月ASKシステム部を設立、情報検索事業がスタートする。
昭和49(1974)年2月紀伊國屋ホールにて「安吾フェスティバル」開催。作家の故坂口安吾を偲び、舞台に安吾行きつけの飲み屋「ちとせ」を再現、多くの作家仲間が集まり、安吾の思い出を語り合った。

写真:「安吾フェスティバル」にて。(左より)巌谷大四、1人おいて開高健、五味康祐、埴谷雄高、田辺茂一、三船敏郎、田村泰次郎、藤岡琢也、奥野健男
「安吾フェスティバル」にて。(左より)巌谷大四、1人おいて開高健、五味康祐、埴谷雄高、田辺茂一、三船敏郎、田村泰次郎、藤岡琢也、奥野健男

写真:「安吾フェスティバル」ポスター横尾忠則画
「安吾フェスティバル」ポスター横尾忠則画
昭和56(1981)年12月ニューヨーク店開店。

写真:開店当時のニューヨーク店
開店当時のニューヨーク店
昭和58(1983)年12月アジア・パシフィック地区初のリャンコート店開店。
昭和61(1986)年世界最大の図書館ネットワークOCLCと代理店契約
平成1(1989)年早稲田大学と共同で日本最大規模の目録データベース「WINE」構築開始。
平成2(1990)年11月台北天母店開店。台湾初出店は昭和62年、台北忠孝店(~平成13年7月)。
平成4(1992)年2月タイ国内初のバンコク店開店。

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